世界に誇る日本のゲーム!日本のゲームの歴史をご紹介


2024年2月29日

日本のゲーム会社は『ファミリーコンピュータ』や『PlayStation』、『GAMEBOY』や『Nintendo Switch』など、世界に認められるゲーム機を多数生み出してきました。このコラムでは世界に誇る日本のゲーム機の歴史を、黎明期からジャンル別に解説します。

 

日本のゲームの歴史

日本産のコンピューターゲームが登場したのは1973年のことです。1970年代はアーケードゲームが中心でしたが、1980年代になると、据え置き型の家庭用ゲーム機や携帯型ゲーム機が日本で多数生み出され、世界に知られる存在となっていきます。

 

2024年現在でも、任天堂やソニーのゲーム機は世界中で人気を獲得していますし、日本で開発されたゲームソフトも世界に浸透しています。

 

日本のゲームの歴史:コンピューターゲームの誕生

この項目では、日本でコンピューターゲームが誕生した歴史を紹介します。

 

日本のコンピューターゲームのはじまり

日本で最初に発売されたコンピューターゲームは、アメリカのアタリ社が開発した卓球ゲーム『PONG』のコピーゲームである、タイトーの『エレポン』と、セガの『ポントロン』とされています。どちらも1973年に発売されているので、日本のコンピューターゲームは半世紀を超える歴史をもっていることになります。

 

なお、『エレポン』も『ポントロン』もいわゆるアーケードゲームで、家庭用ゲームが誕生するのはまだ先の話です。

 

日本のゲームの歴史:初めての家庭用ゲームの誕生

この項目では、アーケードゲームだけの時代から家庭用ゲーム機が登場し、さらに拡散していく時期を解説します。

 

アーケードゲーム

前の項目に書いたように、日本でコンピューターゲーム(ビデオゲーム)がアーケードに登場したのは1973年です。しかしアーケードゲーム自体はそれ以前から多数存在していました。

 

セガは1966年に戦艦を魚雷で狙う『ペリスコープ』を発売していますし、タイトーも60年代にはすでにアミューズメントスペースを運営し、射撃ゲームやクレーンゲームなどを置いていました。

 

また、タイトーは1978年に『スペースインベーダー』をリリースし、社会現象を起こすほど大ヒットしています。その後もナムコの『パックマン』や任天堂の『ドンキーコング』などのヒット作が登場します。

 

1970年代にも家庭用ゲーム機は存在していたものの、まだ浸透はしていませんでした。そのため日本では、1980年代前半までは「ゲームはアーケードで遊ぶもの」という認識が強かったようです。

 

ファミリーコンピュータ旋風

国産で初めて登場した家庭用ゲーム機は、1975年にエポック社が発売した『テレビテニス』です。そして1970年代後半には、任天堂やバンダイなどが家庭用ゲーム機の発売を始めます。その後、トミーやタカラ、セガなど多くの日本企業が家庭用ゲーム機を開発・リリースし始めます。

 

そんな中で、1983年に任天堂が発売した『ファミリーコンピュータ(ファミコン)』が登場します。当時の家庭用ゲーム機はまだ処理能力が低く、アーケード機の画面上の動作に追随できていませんでした。しかしファミコンはアーケードゲームに近い動きができる点でプレイヤーを驚かせました。

 

また、『ドンキーコング』など、既にアーケードで人気があったソフトが遊べることもあって売り上げを伸ばしていきます。そして、日本だけでなく海外でも販売数を伸ばし、任天堂の名を世界にとどろかせたのです。

 

激化した次世代のゲーム機開発競争

1980年代中盤には、ファミコンのヒットで家庭用ゲーム機の分野では任天堂が一強となる気配が濃厚でした。しかし、1987年にはNECホームエレクトロニクスが『PCエンジン』を発売、1988年にはセガが『メガドライブ』を発売するなど、家庭用ゲーム機開発競争は激化していきます。

 

一方任天堂は、ファミコンの後継機として1990年に『スーパーファミコン』を発売し、再度ゲーム機開発競争のトップに躍り出ました。

 

とはいえ、1990年代にはほかの会社もまだまだゲーム機を開発していました。セガやNECホームエレクトロニクスのようにすでに家庭用ゲーム機を出していた会社だけでなく、ビクターやパイオニア、松下電器やサンヨーなどの企業もゲーム機を発売するなど群雄割拠の時期が続きます。

 

1994年にはソニーが『PlayStation』を発売してゲーム機開発競争に参入し、人気を獲得していきます。同年にセガが出した『セガサターン』と1996年に任天堂が出した『NINTENDO64』は、『PlayStation』とあわせて次世代機と呼ばれました。

 

この頃には後述する持ち運べるゲーム機も多数出ており、家庭用ゲーム機市場に新規参入する会社はほとんど見られなくなります。

 

PS2、X-box、Wii

2000年以降は新規参入する会社が減り、『PlayStation』シリーズのソニーの強さが目立つようになります。『PlayStation』は『ドラゴンクエスト』シリーズや『FINAL FANTASY』シリーズ、『バイオハザード』シリーズなど人気ソフトがプレイできたこともあって、世界でも販売数を伸ばします。

 

また、任天堂も2001年に『NINTENDO ゲームキューブ』、2006年に『Wii』を出すなどして最大手の一角を守ります。

 

そんな中で、マイクロソフト社が2002年に『Xbox』を発売、2005年には『Xbox360』を出して、家庭用ゲーム機のシェア争いに加わっています。

 

日本のゲームの歴史:据え置きからどこでも持ち出せるゲーム機へ

『ファミリーコンピュータ』や『PlayStation』などの据え置き型ゲーム機が認知・普及していく中で、実は1980年代から持ち運びができて外でも遊べる携帯型のゲーム機(携帯電話ではなく)も登場し、さまざまな進化を遂げていきます。

 

この項目では、持ち運びができる携帯型ゲーム機の市場競争の歴史を紹介します。

 

GAMEBOY、GAMEGEAR

世界的に見ると携帯型のゲーム機は、1970年代後半にすでにアメリカで発売されていました。とはいえこの時期には液晶の技術が未発達で、画面上にキャラクターを描くようなゲームはありませんでした。

 

そんな中で任天堂が1980年に発売した『ゲーム&ウォッチ』は大きなヒットを記録しています。その後エポック社やバンダイも液晶を使った携帯型のゲーム機を発売します。そして1989年4月に任天堂が発売した『GAMEBOY』は、発売直後から人気を獲得します。『スーパーマリオラン』や『テトリス』などをプレイしたい人が多かったため、品切れが続くほど売り上げが上がったそうです。

 

また、1990年にはセガが『GAMEGEAR』を発売し、据え置き型ゲーム機と同様に携帯型ゲーム機も世の中に認知されていきます。

 

PSP~Nintendo Switchの登場

任天堂やセガに続いてバンダイやSNKも携帯型ゲーム機を発売しますが、1990年代は『GAMEBOY』シリーズの後継機を次々と出す任天堂の優勢が続きます。2004年に発売された『ニンテンドーDS』は画面に触れて操作ができるタッチパネルを採用したり、音声で操作できたりするなど、技術的にもさまざまな工夫が盛り込まれています。

 

そんな中で、ソニーが2004年に『PlayStation Portable』を発売して携帯型ゲーム機の市場に参入してきます。この時期になるとほかの企業が携帯型ゲーム機を発売することはほとんどなくなります。とはいえ、2011年には任天堂は『ニンテンドー3DS』、ソニーは『PlayStation Vita』を発売して携帯型ゲーム機の歴史を更新します。

 

しかし、この頃には既に携帯電話やスマートフォンの普及が進んだため、この種類の携帯型ゲーム機が発売される頻度は低下していきました。

 

2017年に任天堂が発売した『Nintendo Switch』は大きな売上を記録していますが、据え置き型ゲーム機としても活用できることから、純粋な携帯型ゲーム機とは判別しにくいものです。

 

Steam Deck

スマートフォンの普及によって携帯型ゲーム機が新発売されることは少なくなりました。しかし、ゲームプラットフォームとして高い知名度を持つSteamが2022年に『Steam Deck』を発売しています。

 

『Steam Deck』は発売から1年程度で数百万台を売り上げており、携帯型ゲーム機の今後を左右する存在として注意を払う必要があるでしょう。

 

日本のゲームの歴史:オンラインゲームの誕生

ここからは日本のオンラインゲームの歴史を解説します。

 

オンラインゲームの元祖

世界的に見てオンラインゲームの元祖はアメリカのゲームで、1997年にリリースされた『ディアブロ』や、1998年リリースの『ウルティマオンライン』があげられます。

 

ここまでに書いてきたように、1990年代後半には日本はゲーム機やゲームソフトを多数開発・販売しておりゲーム自体は広く浸透していました。しかし1998年当時、日本のインターネット人口はまだ13%しかなく、オンラインゲームは一部の人だけがプレイするものでした。また、定額制の通信環境が普及していなかったため、通信費が高額になりがちなこともオンラインゲームにとって障壁でした。

 

通信環境がオンラインゲームを変えた

1999年にADSLが登場し、企業や行政がインターネット環境の整備を進めたことで日本でも2000年以降に定額の通信環境が整っていきます。

 

環境の整備とオンラインゲームの台頭は並行して進み、2002年にはオンラインでプレイできる『FINAL FANTASY Ⅺ』が登場、2003年にはインターネット人口が64%を超えるなど、日本にもオンラインゲームの時代が訪れます。

 

スマホの登場とオンラインゲームの常習化

2000年代には携帯電話でゲームをする人が増えますし、2008年に日本でも『iPhone』が発売されてから、多くの人がオンラインゲームを楽しむようになります。このような背景でソーシャルゲームが一般化していくなど、ゲーム業界的には新たな発展が続きます。

 

とはいえ、いつでもゲームができることで常習化が進んだことや、大量課金する人が増えたことは社会的に問題視されていきます。2010年代前半には、コンプリートガチャと呼ばれるシステムが重課金の温床であると批判され、ゲーム会社も自主規制して社会との融和をはかりました。

 

オンラインゲームとVR

2024年現在オンラインゲームは次々とリリースされ、多数の人に楽しまれています。また、VR(仮想現実)やメタバースなどの先端技術との相性が良いことから、今後もリリースされ続けていくと思われます。

 

日本のゲームの未来

日本は1980年代以降、ハードとソフトの両面で世界に大きな影響を与え続けてきました。近年中国のゲーム会社が台頭してきた印象から、「日本のゲーム産業は衰退している」と雑な発言をする人もいます。

 

しかし、角川アスキー総合研究所が発表した「ファミ通ゲーム白書2023」を見ると日本のゲーム市場は特に縮小していません。国内だけでは過去のような著しい成長率はないとしても、世界のゲーム市場は依然として伸びていますから、今後は世界に市場を広げる取り組みを進めて、市場の確保を狙っていくべきでしょう。

 

まとめ

日本のコンピューターゲームが発展してきた歴史をまとめました。

 

日本は1980年代から40年以上もゲーム機の分野で世界をけん引してきました。また、ソフトウェアの分野でも、世界に広く影響を与えています。2024年現在、過去のような高い成長率は望めなくなっている面もありますが、今後も日本のゲーム会社が新たなハードやソフトを提供して世界を驚かせることを期待しましょう。

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